--日本人初でプロ契約を結ばれた時はどんな思いでしたか?
大神HC:私は負けず嫌いで、何でも一番が良かったので、第一号になりたいという気持ちでした。背番号も1番だった程です(笑)。
ワクワクもありましたが、同時に責任も生まれました。小学校2年生からバスケットを始め、オリンピック、WNBAを目指してきたので、「バスケットで生きていく」と腹を括った瞬間でした。

女子バスケを牽引してきた大神監督が自身の経験を語る-Journal-ONE撮影
全ての経験があって今がある
--アメリカでもプレーされた経験は、今の指導やご自身のにどういった効果をもたらしていますか?
大神HC:経験は何でも財産になると言われます。私もアメリカはもちろん、様々な場面で得た経験は活きています。
オリンピック予選敗退、オリンピック出場も良い経験です。そこに、アメリカで挑戦した経験が加わっていると言った感じですね。
アメリカでの経験のみならず、これまで自分が挑戦した一つ一つが、今の大神雄子という人間のそのもの。だからこそ、本当に挑戦して良かったなって思います。
そして、今は挑戦する選手の背中をしっかり押して、挑戦して欲しいなと思ってやってます。
アメリカで学んだ新たな考え方
--WNBAは日本人にとって非常に厳しい世界なのでしょうか?
大神HC:WNBAは、いつ首になるか分からないような場所です。実際、私も2008年にはWNBAのメンバーに入りましたが、その後の3年間は解雇されて日本に帰ってきています。
結果、4年間挑戦してメイクできたのは1回だけ。華々しいメイクした時には結構、ニュースで取り上げていただきましたが、3回は目の前で首を告げられている人間です。そういう部分も含め、人としてすごく成長させてもらいました。
良いことばかりではないですが、悪いことばかりでもない。そのような考え方も生まれた挑戦だったと思います。
アメリカと日本、バスケ文化の違い──大神雄子が語る現場のリアル

大神監督がアメリカで感じたこととは-Journal-ONE撮影
-- アメリカと日本のスタイルの違いは、具体的にどういったことがあるのでしょうか?
大神HC:アメリカは「生きるためにプレーする」という危機感が強いです。明日になったらクビになるかもしれない。明日になったら自分はバスケットボール選手でいれなくなるかもしれないといった危機感を持ってプレーしていると感じました。
キャンプで行われた5対5の試合形式で、驚いたエピソードがあります。バスケはボールがラインを割ると、レフリーがどちらのボールかをジャッジします。しかし、キャンプでは転がり出たボールを奪った選手がボールを持ってプレーをはじめる。それくらい、ボールに対する執着心が強かったです。
WNBA挑戦で感じた圧倒的な競争
-- 最初のWNBAでは、やはり圧倒されましたか?
大神HC:圧倒されましたね。私の前にWNBAに挑戦された萩原美樹子さん(現・東京羽田ヴィッキーズHC)や、田臥勇太さん(現・宇都宮ブレックス)がNBAに挑戦していました。そこで少し聞いていたのですが、自分でアピールしないと、ボールが来ないのです。特に、私のポジションはガードですから、ボールを持たないと自分が活かせないのです。
ですから、何とかボールをもらおうと自分から動いていきました。そして、ダブルクラッチという結構難度の高いプレーを見せることができたのです。それ以降、周りから認められるようになりました。「こいつにボール渡しとけばなんかやってくれるんじゃないか」という雰囲気ですね。
文化の違いが生むプレーの哲学
-- 日本とは全く違うバスケ文化なのですね?
大神HC:はい。良し悪し関係なく違います。アメリカでは、自分の実力を認められないとボールは来ない。ボールをもらうために自分から何かアクションをしないと何も起きない。この辺りが、教育を含めて日本とは違うなと思いました。
一方、日本は役割の中でボールをシェアする。「必ずガードに渡しなさい。そこから始めましょう。」といった感じです。WNBAのトレーニングキャンプは、本当に生きるか死ぬかという感じでした。それくらいシビアな世界でした。

試合や練習でも選手とのコミュニケーションは欠かさない-トヨタ自動車アンテロープス
指導者になっても変わらない「バスケ愛」──大神雄子の哲学
立場が変わっても変わらない思い
-- そして現在、選手からコーチへと立場が変わりました。バスケへの向き合い方にも変化はありましたか?
















