
60分を全力で駆け抜けた内田篤人-Journal-ONE撮影
試合は後半26分、右サイドからフリーでボールを受けたスアレスマさんが、右足をアウトサイドに振り抜く。正面で大きくジャンプした小島伸幸さんの手をわずかにかすめてボールは、綺麗なシュート回転でネットを揺らして勝負あり。世界選抜が3-1でジーコさん率いる日本代表に勝利した。
次回の日本開催は?
試合後、中田英寿さんはこの試合の印象を聞かれると、「試合に勝ったことが一番ですね(笑)」と報道陣に笑顔で応える。
「当時共にプレーした選手たちと、素晴らしい時間を過ごせた。ジーコチャリティーマッチはこの日本開催で22回目、ブラジルでのチャリティーマッチにも参加させてもらいましたが、本当に大変な取り組みを長い間良く継続しているなと」と、ジーコさんの真面目に生きる姿勢を称賛する中田英寿さん。

試合後に今回のチャリティマッチの意義を語る中田英寿-Journal-ONE撮影
次回以降の自身の出場機会について「今日出場した選手よりはもっと走れますが、(ファンが期待する)クオリティを保てるレベルで出たい」と、中田英寿さんらしいストイックなプランも披露した。
最後は次回の日本開催について、「ジーコの意思を継いで、鹿島(アントラーズ)がやった方が良いと(中田)浩二に言っています(笑)」と、鹿島アントラーズサッカー部門の責任者に仕事を振って会場を後にした。
「これまで6回の手術を受けてきました。次の7回目の手術が奇跡的に成功すれば、私もピッチに出られるかもしれない」と、73歳とは思えない太い大腿部を見せながらプレーできない理由を語ってくれたジーコさん。
今回のイベントを振り返り、「素晴らしいイベントになったと満足している。継続して出来るよう、伝統を作っていくよう考える必要がある。全てのコンディションが整えば広島での開催を継続することも可能だろう」と、ヒロシマ開催の意義を継いだ次回開催への可能性にも触れた。

初の日本開催チャリティーマッチ成功を喜ぶジーコ氏-Journal-ONE撮影
日本サッカーの今と未来
日本にサッカーを定着させたジーコさんから見た今の日本サッカーについて感想を求められたジーコさんは、「私はプロサッカーの文化を教えただけで、サッカー文化を定着させたわけでない」と、今日の発展は自らの功績ではないと強く否定。Jリーグ草創期から30年余りの時を経て、日本のサッカーに親しむマインドは日本の人たちの取り組みが成し遂げたものだと話した。

早くもZico All star Gameの次回日本開催に期待が高まる-Journal-ONE撮影
次回のFIFAワールドカップで優勝を目指す日本代表について聞かれると、少し表情を崩しながら「W杯のチャンピオンにはいずれなれるのでは」と切り出す。
「でも忘れてならないのは、ブラジルが初優勝するまでに24年を要していることです。それに、ペレのような絶対的な選手が出たことでブラジルは優勝することができたのです」と、1998年の初出場から27年、8大会連続で2026年FIFAワールドカップに出場することが決まった日本代表だが、天才的な選手の出現こそが優勝に必要な条件だと付け加えていた。
