イングランドの伝説的選手たち5人がボールを持つ姿が刻まれ、「スポーツの多様性を象徴する場所」としてのウェンブリーを感じさせる。
ちなみに、15人制ラグビーの聖地は”トゥイッケナム・スタジアム”である。
オリンピックの記憶と施設案内
また、1階には1948年のロンドンオリンピックのモニュメント、チケット売り場、イングランド代表のオフィシャルショップも併設。
もちろん、スタジアムツアーも行われている。ツアーでは選手ロッカールーム、ピッチサイド、記者会見室、トロフィールームなどを見学できる。

1948年ロンドン五輪金メダリストの記録‐斉藤健仁撮影
疑惑のゴールを再現した展示
特に人気なのは、FIFAワールドカップイングランド大会の決勝戦での「疑惑のゴール」を再現した展示。ジェフ・ハーストのシュートがクロスバーを叩き、真下に落ちたあの瞬間を、自分の目で確かめられる。
1世紀に及ぶウェンブリー・スタジアムの歴史
初代ウェンブリーの誕生(1923年)
現在のスタジアムは2007年に完成。しかし、スタジアムの歴史はおよそ1世紀前、1923年に遡る。初代ウェンブリー・スタジアムは、当時は「エンパイア・スタジアム」と呼ばれ、英国博覧会の会場施設として建設された。
象徴的な「ツインタワー」
特徴的だったのは、スタンド正面にそびえる2本の白い塔――。「ツインタワー」で、この象徴的なデザインが、後に「サッカーの聖地」ウェンブリーの名を世界に広めることになる。
ホワイトホース・ファイナルの伝説
開場間もない1923年には、FAカップ決勝「ボルトン・ワンダラーズvs.ウェストハム・ユナイテッド」が開催され、推定20万人超が詰めかけたという。
この試合で、白馬に乗った警官が群衆を整理する姿がテレビニュースに映し出され、後に「ホワイトホース・ファイナル」として、今も語り継がれている。
FAカップとイングランド代表の聖地
その後、ウェンブリーは長らくイングランド代表と、FAカップ決勝のホームとして定着。1953年にはスタンリー・マシューズが率いたブラックプールが、FAカップ決勝で劇的な逆転勝利を収めた。「マシューズ・ファイナル」として伝説となっている。
ロンドンオリンピックと戦後復興
また、1948年のロンドンオリンピックでも開会式と陸上競技の会場となり、戦後復興期のイギリスを象徴する舞台となった。
1966年ワールドカップと疑惑のゴール
そして1966年、イングランドは自国開催のFIFAワールドカップ決勝で、西ドイツと対戦。延長戦でジェフ・ハーストのシュートがクロスバーを叩き、真下に落ちた――。
これが、あの有名な「疑惑のゴール」である。主審は副審の判定を確認しゴールを認め、結果は4-2。イングランドは悲願の初優勝を果たし、エリザベス女王がキャプテン、ボビー・ムーアにトロフィーを手渡すシーンは、英国スポーツ史に永遠に刻まれた。
1970〜80年代の多彩なイベント
その後も1970~80年代にかけて、ウェンブリーはFAカップ決勝だけではない。欧州カップ決勝、チャリティ・シールド、ホーム・インターナショナルズ(英国内4代表戦)なども開催された。
また、音楽面でも、1985年「ライヴエイド」など、スポーツと文化が融合。「国民の舞台」となっていった。なお、サッカー日本代表は1995年、旧ウェンブリーで行われたアンブロ・カップで来場。イングランド代表と対戦し、1-2で敗れている。
複合施設の顔も持つ新スタジアムは2007年に誕生
老朽化により2000年に一時閉鎖され、2003年に取り壊された。それでも、ツインタワーの記憶は新ウェンブリーの巨大アーチとして受け継がれた。かつて2本の塔が象徴した「誇りと伝統」は、今もこのスタジアムの空に息づいている。
もちろん、ウェンブリーはサッカー、ラグビーだけでない。コンサート会場として使用されてきた歴史もある。
かつてはマイケル・ジャクソン、現在ではテイラー・スイフト、オアシス、コールドプレイなど世界的アーティストが公演を行っている。
また、ウェンブリーは複合施設としての顔を併せ持っている。ロンドン中心部から地下鉄で20分という立地のため、複数の大学のキャンパスがある。さらには、新しいマンションも次々に建てられている。

スタジアムを中心としたウェンブリーの複合施設‐斉藤健仁撮影
アリーナや商業施設もオススメ
スタジアムの次に有名なのが北側に建つ、「ウェンブリー・アリーナ」(OVO Arena Wembley)だ。

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