「他の中学校や高校のチームから練習をしてほしい、見せてほしいと言っていただけることも多くて、いろんな方たちと一緒に夢を持ってここまで来たというところがあります。今もう、お祝いのメールも300件くらい来ているんです。もうアップルウォッチが(メール着信の通知で)ブルブルしてます(笑)」

”応援されるチーム”へと成長を遂げた大阪薫英‐永瀬和志撮影
桜花学園の涙と悔しさ
一方の桜花学園。試合が終わって、幾人かの選手たちは自身の目から流れ落ちる涙をなかなかせき止められないでいた。その後の表彰式で首にかけられた「銀メダル」は到底、彼女たちが欲していたものではなかった。
24度の優勝については触れた。だが、桜花学園が最後にウインターカップで決勝の舞台に立ったのは2021年。以降は4強にすら届いていなかった。2024年末には同校を長年指揮し、数々の全国タイトル奪取をしてきた井上眞一氏が他界。桜花学園は、新たな旅路を歩み始めていた。
それでも、今年は夏のインターハイを4年ぶりに制していた。機運を上げて臨んだウインターカップであったが、タイトルはその手に収まらなかった。
ウインターカップを勝ってこそ真の日本一。井上氏の跡を継いでコーチとなった白慶花氏は名伯楽が生前、常々そう口にしていたと話した。
宿命の残酷さ
今年のチームでその願いには、すんでのところで届かなかった。4度目の正直でようやくウインターカップの優勝杯を手にした大阪薫英。その歓喜と、敗れて涙にくれる桜花学園の面々。その姿は、常に1位を求められる彼女たちの宿命の残酷さを示していた。

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