アスリートが地元掛川を紹介! 「掛川城をバックに戦国武将の気分を味わう」遠州掛川鎧屋

アスリートが地元掛川を紹介!

TwitterFacebookLinePinterestLinkedIn

千葉ジェッツふなばし特集の連載最終回は、佐藤博紀氏(パートナー本部長/取締役)に迫る。2011年のチーム設立時に選手として加入し、初代キャプテンを務めて現役を引退。その後はフロントへ転身してチームの編成や次世代育成も担った。「千葉県をバスケットボール王国にしたい」という思いは、在籍14年目も変わらない。チームの歴史を知るキーマンの言葉から、Bリーグ屈指のクラブに成長した軌跡をたどる。(取材日:2月27日)

千葉ジェッツへ移籍「千葉県に恩返しをしたい」

―― まず千葉ジェッツに入る以前は、選手としてどんなキャリアを歩んでいたのでしょうか。

佐藤)私が大学生のときはプロリーグがなくて、千葉にプロチームができるという構想すらなかったんです。順天堂大学を卒業後は大塚商会に入社して働きながら、企業リーグで頑張ろうと思っていました。

でも、社会人2年目のときにbjリーグ(2005年~2016年まで開催されたプロバスケリーグ)ができたんです。それを機にやはりバスケで飯を食べていこうと決めて退職し、大分ヒートデビルズ(2005年~2015年まで活動したプロバスケチーム)でプロになりました。

―― 2011年に千葉ジェッツができたとき、地元でプロ選手になれる可能性が生まれましたが、当時どう思っていましたか。

地元にプロチームができて嬉しいなと思いましたが、すぐに千葉ジェッツへ移籍したいとは思いませんでした。大分からも契約継続のオファーをいただいていたので、ゆくゆくは地元でプレーしたいと思ったのが最初の感想でしたね。

ただ、その矢先に大分が経営難になり、自分がいられない状況になりました。そのとき、選手として残りのキャリアで自分の骨を埋めるなら、千葉ジェッツに行って有終の美を飾り、バスケットボールを通じて千葉県に恩返しをしたいと思って移籍を決めたんです。

―― 大分から千葉へ移籍されて、ゼロからの活動だったと思います。当時の状況はいかがでしたでしょうか。

佐藤)大分はbjリーグ設立初年度のチームだったので、ゼロからやっていく苦労は経験していました。千葉に移籍したときも、2つのことを考えていました。一つは、バスケットボールを通じて千葉県に恩返しできる選手になりたい。もう一つは、自分が引退したときにバスケットボール業界が盛り上がっている状態にしたいというものです。

いまの千葉ジェッツにも通じますが、地域のイベントに足を運ぶ活動は多くて、重要でした。私が千葉ジェッツに入って1年目のとき、地元の中学校で講演をしてもチームを知っている人はほとんどいなかったのですが、継続的にやっていくことで、チームがbjリーグからNBL(2013年~2016年まで開催された企業チームとプロチームの混成トップリーグ)に移って3年目ぐらいから集客が増えていった要因の一つでもあるのかと思っています。 

今になって思うのは、設立当初はチームスタッフがヘッドコーチ、アシスタントコーチ、マネージャーしかいなくて、バスケットボールをする環境を自分たちで整えないといけない苦労はありました。今ではスタッフだけで15名ほどいますが、そこには差があったと思います。

―― bjリーグからNBLへ戦う舞台が変わったことは、選手としてどう受け止めていましたか。

佐藤)当時は企業チームが多いNBLの方がレベルが高いという認識があったので、選手としては不安よりも、楽しみな気持ちが大きかったです。でも、NBLの1年目は大変だったな……(笑)。開幕4連勝して行けるじゃんと思ったら、その後に20連敗して。でも、僕はこのシーズン(2014-15)で現役を引退したんですよ。

「責任を持ってフロントに」…2017年に初タイトル

―― 引退を決めてフロントに入られましたが、何がきっかけだったのでしょうか。

佐藤)契約更新時に、千葉ジェッツの代表だった島田慎二さん(当時/現Bリーグチェアマン)と話しをしたとき、チームの若返りを図りたいと言われ、フロントに入らないかとオファーをいただきました。11年間、プロバスケットボール選手として仕事をしてきて、今後のキャリアを考えたとき、フロントに入って千葉ジェッツを盛り上げるか、県外チームでプロ選手を続けるか、2つの選択肢があったんです。

でも、千葉ジェッツに入ってきたときの思いを大事にしたいと考え、フロントに入ることを決めました。千葉ジェッツを千葉県に根付かせることと、バスケットボール業界をフロントとして盛り上げること、そしてこのチームで優勝したいという思いがありました。

―― 千葉ジェッツ初の永久欠番は佐藤さんですよね。

佐藤)そうなんですよ。(同席した広報・清野咲歩さんを見て)千葉の永久欠番だよ!

清野)はい(笑)!ホームゲームでも永久欠番のジャージを飾っていますからね。

佐藤)でも、異例ですよ。千葉ジェッツで4年やって、1年目からキャプテンをやっていた選手が永久欠番になるなんて。チームのカルチャーがなかった当時だからこそ、それを作っていくためのロールモデルになってほしいという期待を込めての永久欠番だったと思います。責任を持ってフロントに入りました。

■記者プロフィール
大橋 裕之
WordsMotionという屋号でライター・編集者。バスケットボールが多め。アーバンスポーツの3x3バスケをはじめ、BリーグやDリーグを取材するほか、スタートアップ領域や新規事業領域のビジネス系インタビューも実績あり。企画も考え、コンテンツ制作に伴走します。

≫「X」アカウント
https://x.com/Words_Motion

[写真]=Nobuhiro Fukami
アクセス

ららアリーナ東京ベイ(LaLa arena TOKYO-BAY)

  • 住所
    千葉県船橋市浜町2-5-15
  • TEL
    (info@tbam.co.jp)
  • アクセス
    東海道新幹線 東京駅 - 京葉線(17分)- 南船橋駅 - 徒歩6分
  • その他
    【その他】一般駐車場無し
取材・文:
大橋 裕之( )
TwitterFacebookLinePinterestLinkedIn