熱狂的な環境を作れるように、フロントができることはまだまだあると思いますよね(広報の清野さんの方を見て)。
清野)今シーズン、10,000人のお客様に来ていただける試合もありますが、他のBリーグクラブに比べたらまだまだ課題はあると思います。まだLaLa arena TOKYO-BAYは1年目なので。
佐藤)でも、いい悩みだなと思います。LaLa arena TOKYO-BAYを共通ワードに社員が話せるわけですから。毎年やっていけば、いろいろとチャレンジしないといけません。各地で新アリーナも開業していくので、頑張らないといけないと思っています。
―― LaLa arena TOKYO-BAYができてから、ユースの選手が試合で使ったり、ウインターカップの県予選決勝で高校生もプレーしました。大舞台で若い選手たちがプレーする光景はどう映っていますか。元千葉ジェッツの選手である星野拓海さんが母校の市立船橋高校の監督として指揮も執っていました。
佐藤)私もあそこでプレーしたことがないので、高校生たちが羨ましいです。千葉県バスケットボール協会をはじめとした多くの支えがあってこそ、実現できた環境でもあります。LaLa arena TOKYO-BAYでプレーした高校生やユースの選手たちが、トップチームやその先にあるNBAなど大舞台を目指してくれたら嬉しいな。
また、星野先生のように引退後に教員になって母校を指導する姿も素晴らしいと思います。彼に限らず今後も他の選手が千葉県でセカンドキャリアを考えてくれたら、嬉しいですね。
―― ユースの関谷間選手、深見虎太郎選手に取材しましたが、LaLa arena TOKYO-BAYでの経験がとても大きいと感じられました。また、目の前の公園にはリングもあって、アリーナを起点とした広がりを感じます。
佐藤)LaLa arena TOKYO-BAYは、特別な場所であってほしいと思っていますし、千葉県をバスケットボール王国にしたいという、我々のビジョンを実現していく大きな存在です。近くにリングがあるように、私の仕事の一つとして県内でリングを設置する取り組みもしてきました。子どもたちが外でバスケをやる環境、風景を作っていきたいと思っています。
―― 田代直希選手に取材をしたとき、コートを作りたいというお話をされていました。佐藤さんなら、どこにコートを立てたいですか。
佐藤)ホームタウンの船橋市だけでなく、僕の地元である四街道市にも建てられたら、生まれ育ったまちへの恩返しになりますね。それにしても、田代選手のように自前でバスケができる環境を作りたいと思ってくれているのは良いですね。
「使命」かもしれない。将来千葉ジェッツがやるべきこと
―― 2011年のチーム設立以来わずか14年で、バスケが世の中から注目されるスポーツになり、専用アリーナもできました。当時、ここまでの発展は想像していましたか。
佐藤)想像はできていなかったです。本当に、バスケットボールを盛り上げたい、千葉県に恩返しをしたいという思いだけで、選手生活を送っていました。たぶん誰もバスケットボール業界が、ここまで急速に注目されるスポーツになるとは思っていなかったのではないでしょうか。
だからこそ、僕らを含めてこの発展に携われている人たちは幸せだと思いますし、今後も頑張らないといけないと思っています。この状況になったからこそ、地域に還元したいという思いやリソースをどう注ぐのか。広い視野を持つことが大切ではないでしょうか。
―― 改めて、千葉ジェッツが発展していった要因をあげるなら、何になりますか。
佐藤)フロント目線で言えば、経営努力で資金力を伸ばしつつある中で、チームのカルチャーを作り、千葉ジェッツらしい戦い方を我慢強く作り上げていったことに尽きると思います。資金力と戦績が比例しないのが、プロスポーツじゃないですか。
あと運もあると思います。タイトルを数多く取れるチームはありません(天皇杯で5度、Bリーグで2度の優勝)。不思議なチームだと思いますが、これも支えてくださる皆さまの力あってのことだと思います。
―― 今後のさらなる発展に向けて、やりたいことがあればお聞かせください。
佐藤)個人的にやりたいなと思うことは、現在U15の女子チームがあるので、その子たちの将来を考えると、千葉ジェッツに女子のプロバスケットボールチームがあるといいなとは思っています。男子のユースのように一貫した育成ができれば理想ですし、千葉県をバスケットボール王国にして、日本、世界のバスケットボール界を盛り上げられるような存在になっていきたいと思います。
千葉ジェッツを通じて皆さんの生活が豊かになるようこれからも精進して参ります。

≫「X」アカウント
https://x.com/Words_Motion
[写真]=Nobuhiro Fukami