急速に力を付ける女子ソフトボール韓国代表
来る2026年、愛知県名古屋市を中心に開催される“第20回アジア競技大会(以下、アジア大会)”を控え、女子ソフトボール韓国代表がメキメキと力を付けてきている。
2024年夏に、世界最高峰の国内女子ソフトボールリーグ“JD.LEAGUE(以下、JDリーグ)”に所属する“伊予銀行ヴェールズ”との強化合宿に臨むため愛媛県松山市を訪れた韓国代表チーム。1年間の強化活動を経た2025年7月、伊予銀行ヴェールズを韓国に招いて強化合宿を行った。

鎭川NTCでの韓国代表と伊予銀行ヴェールズの強化合宿-Journal-ONE撮影
2024年夏に松山市で行われた強化合宿を独占取材したJournal-ONE編集部は、2025年に行われた韓国での強化合宿の単独取材にも成功。鎭川にあるナショナルトレーニングセンターでの合宿取材はもちろん、この強化プランを実行している“大韓野球ソフトボール協会(以下、KBSA)”のオフィスがあるソウル特別市のオリンピック会館新館を訪れた。

オリンピック公園の隣に建つオリンピック会館新館-Journal-ONE撮影
今回、第25代会長に就任したヤン・ヘヨン会長の単独インタビューを通じ、韓国における野球・ソフトボール事情や様々な取り組みについて話を聞くとともに、ヤン・ヘヨン会長が進める競技の普及、人気拡大、そしてアジア大会に向けた抱負についても熱く語ってもらった。
ヤン・ヘヨン会長と野球・ソフトボールのご縁

和やかな雰囲気で始まったヤン会長のインタビューーJournal-ONE撮影
― 長きにわたり野球・ソフトボール界に携わるお仕事をされているヤン・ヘヨン会長ですが、ご自身は野球・ソフトボールとどのように出会ったのでしょうか?
幼いころから自然と興味を持って野球を始めました。運動が好きでしたので、小学校、中学校では野球だけではなく、陸上とサッカーもしていました。その後、高校では野球で有名な信一高等学校で野球を続けました。ポジションはセンターでしたね。
― 日本との違いとして、韓国では能力に秀でた子供たちだけが学校でスポーツをすることができると聞きます。学校でもスポーツをするため、幼いころから英才教育のようなものを受けていたのでしょうか?
いえいえ。選手になるための特別な生活はしていませんでした。友達同士が集まり、近所で野球をしていました。子供の頃はあくまで趣味として、家の周りの友達と一緒に軽く野球するといったレベルでした。
― その後、野球を仕事として選ばれました。KBOに入るきっかけはどういったものだったのでしょうか?
大学を卒業する時、偶然にKBOで職員を1名募集していました。私の大学(成均館大學校)でKBOへの推薦者を探していたのですが、私の恩師が「この大学から推薦者を挙げるならば、あなたにおいて他はない」とずっと野球をしていた私に推薦状を書いてくれたのです。
― 大学の恩師から推薦を受けた位ですから、大学生の頃は野球関係のアルバイトなど何か野球界との関係を持たれていたのですか?
KBOが創設したのは1982年で、私が就職したのは1988年。私は野球自体に興味はありましたが、できたばかりのKBOについては良くしらなかったのです(笑)。就職するための働く先を探していたら、本当に運命の様に野球に関する会社に入社したということですね。私だけでなく、その当時は今のようにKBO知っている人もそれほどいませんでした。
― ではKBO入社時のあまり知られていない存在から、現在の人気スポーツリーグに発展させるまでの過程をずっと歩まれてきたのですね。
そうですね。もちろん、1人でやってきたのではなく、KBO職員全員で一生懸命に頑張ってここまで来ました。その中で特に印象に残っているのは、私がKBO事務総長をしている時に、過去最高の観客動員数を記録しました。そういった意味では、KBO、野球の発展に少しは貢献できたのかなと思っています。
プロ野球から野球・ソフトボール全てにかかわる

自身の経験を丁寧に答えてくれるヤン会長-Journal-ONE撮影
