ロケティ・ブルースネオルは、今シーズン、大学ラグビーで最も注目されているルーキーだ。
目黒学院高校出身、東洋大学1年のロケティ。『ロケット』『怪物』と呼ばれるNO8(ナンバーエイト)。
身長185cm、体重110kgの体躯を活かしたボールキャリーが武器のロケティ。3月、第51期の高校日本代表のイングランド遠征で、史上初めて外国人ながらキャプテンに選出された。
高校日本代表の桑原立監督が「一番、選手に勇気をもたらす」と期待した通り、U19イングランド代表戦で、後半だけでハットトリックを達成し、45-31の勝利に大きく貢献した。

U19イングランド戦でハットトリックを達成したロケティ(C)JRFU
高校日本代表主将ロケティが示したリーダーシップ
全世代を通じた初の快挙
各世代を通して、15人制のラグビーで日本代表が『ラグビーの母国』イングランド代表に勝利したのは史上初めてのことだった。
「勝てて、めっちゃうれしかった。最初は勝てないと思ったが、最後の最後でチームが1つになったから、勝てると思った。遠征は良い思い出になった。食事も美味しかったが、一番、楽しかったのは試合。将来、日本代表になって、またイングランド代表と対戦したい」とロケティ。

全世代を通じて初めてイングランド代表に勝った高校日本代表(C)JRFU
現地での修正が功を奏す
今年に入り、1・2月と合宿を重ねて準備した高校日本代表だったが、イングランド遠征の初戦、プロクラブのU19ハーレクインズ戦は36-38で敗戦した。イングランド代表戦まで中3日しかなかったが、若き日本代表はそこからしっかり修正して臨んだ。
「ハーレクインズ戦は、前半は勝っていた(31-14)が、後半、逆転されて負けた。運動量が足りなかった。3日間で、きつい中でもみんなでコミュニケーションが取れるように、1人ひとり自分たちがやってきたことをがんばった。相手はフィジカルがあり、でかくて、足も速かったが、1人ではなくワンチームに、(スローガンの)『KNOTS』(結び目)になることができたから勝てた」(ロケティ)。
キャプテンのロケティは、プロ選手がいたイングランド代表との戦いでも、プレーでチームを鼓舞し続けた。「キャプテンとして、リーダーシップは試合中で話すだけでなく、練習や試合の自分のプレーが一番大事だと思うので、自分のキャリーやタックルをみんなが見て、『いける』と思えるように、一番がんばった」と大きな胸を張った。

高校日本代表でキャプテンを務めたロケティ(C)JRFU
ロケティの原点 トンガから日本へ渡った理由
トンガで育まれたラグビー人生
ロケティはトンガ出身。5人兄弟の長男で、3月に生まれたばかりの妹を含めて、下に4人の妹がいる。農業を営む父が地元のクラブで、SO(スタンドオフ)としてラグビーをしていた影響で、3歳くらいから家族と一緒に試合映像を見ていた。実家がラグビーグラウンドの隣にあったため、5歳くらいから家にあったボールで、一人で競技を始めた。
中学はトンガカレッジアテレで、主にCTB(センター)としてプレーしていた。「トンガではラグビーで就職できない。プロになるには海外にいくしかない」。最初に目黒学院から誘われたこともあり、「チャンスだと思った」と、故郷から8,000km離れた日本でプレーすることを決意した。
目黒学院で開花したロケティ NO8転向と全国区への飛躍
目黒学院に入学後、竹内圭介監督からポジション転向を促されたロケティ。BK(バックス)のCTBから、FW(フォワード)のNO8となった。
コロナ禍でラグビーができない中学時代に、ご飯を食べ過ぎて大きくなり、「昔は細かったから、ラグビーをやる上では良かった」。
来日して、一番驚いたのは「練習が長くて、きつかった。最初は辞めようと思った(苦笑)。だけど、頑張ってだんだん慣れた。」とのこと。
高校時代、印象に残っている試合は高校1年の花園予選決勝だった。下馬評では東京都のライバルである國學院久我山が有利。しかし、1年生ながら先発したロケティが、2トライを挙げて15-12で勝利し、花園への切符を得た。
ロケティは花園の2回戦でハットトリックを達成し、続く選抜大会の1回戦で東福岡を倒した。その結果、すぐに全国的に知られる選手へと成長した。

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