このゾーンは、トーベ・ヤンソンが最初に出版した絵本『それからどうなるの?』をモチーフに構成されており、来場者は“読む人”ではなく、物語の中の存在として空間を進んでいく。
導線に沿って歩くと、絵本のページがそのまま立体化されたような実物大の挿絵ジオラマが次々と現れる。壁や床、空間そのものが物語の一部となり、「次はどうなるのだろう」という好奇心が、自然と足を前へと運ばせる。
ページをめくる代わりに、自分の身体で物語を進めていく体験。
子どもはもちろん、大人もいつの間にか童心に戻り、ムーミンと同じ目線で冒険を追体験していることに気づく。視覚だけでなく、距離感やスケール感によって物語が心に刻み込まれるため、その印象は文字で読む以上に深く、長く残る。
「物語に包まれる」という表現が、これほどしっくりくる空間は、そう多くない。
螺旋階段を包み込む、ムーミン谷の巨大ジオラマ
体感展示を抜けると、KOKEMUSの象徴とも言える空間に辿り着く。それが、螺旋階段の吹き抜けいっぱいに再現された、“ムーミン谷のジオラマだ”。
視線を上げれば、何層にもわたって広がるムーミン谷。家々、森、川、道、そして小さなキャラクターたちの動きまでが精巧につくり込まれている。まるで時間が流れる谷を見下ろしているかのような感覚に包まれる。
そのスケールの大きさに、来場者はみな思わず足を止め、しばらく見入ってしまう。
このジオラマの特筆すべき点は、壮大さと精巧さだけではない。ムーミン谷のできごとや季節の移り変わりが、物語に沿って演出されることだ。光や音の変化とともに、登場キャラクターが次々と現れるおよそ1時間。それぞれの物語が静かに紡がれていく様子に時間を忘れる。
もちろん、すべてを一度で確認することは難しい。だから、「さっき見たあのシーンを、もう一度見たい」「あのキャラクターの場面を追体験したい」という気持ちが芽生えてくる。
時間を忘れて見入ってしまう。そして、再び同じ場所を訪れたくなる。それも、この展示が生きている物語である証だろう。

展示施設「KOKEMUS(コケムス)」の奥に広がる、精巧なムーミン谷のジオラマ。そして緻密な作り込み、私たちを没入させる。—Journal-ONE撮影
ことばとアートで紐解く、ムーミンの本質―常設展と、何度でも訪れたくなる企画展
KOKEMUSの後半を彩るのが、”ギャラリー展示”エリアだ。ここには常設展と企画展がある。ムーミンの物語を「ことば」と「アート」の側面から深く味わうことができる場所だ。
常設展では、小説、絵本、コミックスといった原作の挿絵とともに、ムーミンの物語の世界を形づくる印象的なことばが展示されている。その中には、世界初公開となるトーベ・ヤンソンの詩も含まれている。創作者としての彼女の内面、そこに静かに触れることができる。
ムーミンの物語に初めて触れる人も、断片的な記憶しか持たない人も問題ない。展示を読み進めるうちに自然と物語に没頭し、時が経つのを忘れてしまう。
語られるのは、派手な教訓ではない。自分らしさ、孤独との向き合い方、他者との距離感。そんな普遍的なテーマが、やさしい言葉で心に届く。
一方、企画展は数年ごとにテーマを据えてじっくりと構成され、毎回異なる視点から原作が読み解かれていく。絵、ことば、思想、時代背景、どの切り口からでも見応えがある。訪れるたびに新しいムーミンの物語の世界の一面と出会えるはず。
だからこそ、この企画展は「ついで」ではなく、「目的」として何度でも足を運びたくなる存在なのだ。
KOKEMUSを巡り終えたとき、ムーミンの物語の世界は単なる「かわいい物語」ではなくなる。きっと、「生き方に寄り添う哲学」として心に残っているはずだ。
それは、トーベ・ヤンソンが生涯をかけて描き続けた、優しく、強く、そして誠実な世界観そのものなのである。

展示施設「KOKEMUS(コケムス)」の壁面に並ぶ、個性豊かな住人たちの肖像。—Journal-ONE撮影
四季と物語が問いかける、私たちの「生き方」
ムーミンバレーパークは、一度きりの観光地ではない。春夏秋冬、光や風、湖の表情とともに風景は変わり、訪れるたびに感じ取るものも変化していく。その度に、ムーミンの物語は新しいかたちで私たちに語りかけてくる。
トーベ・ヤンソンがムーミンの物語の世界で描き続けてきたのは、「自分らしく生きること」「他者をそのまま受け入れること」、そして「平凡な日常の中にある小さな幸せ」だった。それらは決して特別な思想ではない。むしろ、情報とスピードに追われがちな現代に必要な、見失いがちな価値観なのかもしれない。

















