そこには、偶然や勢いだけでは説明できない意味があった。

インサイドに切り込む田中大貴-Journal-ONE撮影
田中大貴を突き動かした特別な動機|サンロッカーズ渋谷の象徴
この試合で見せた田中大貴の集中力と強度は、試合後の言葉に集約されている。「コンディションは良くなかった。でも、彼(比江島)との試合だったから出た」。
田中を突き動かしたモチベーションのひとつは、比江島慎とのこの会場での対戦にあった。
原点・代々木第二体育館という舞台
舞台は、代々木第二体育館。ここは、日本バスケットボール界をけん引してきた田中と比江島にとって、原点とも言える場所である。
時を遡ること2012年。当時、大学バスケットボール界で「最強」と称されていたのが、比江島を擁する青山学院大学だった。
圧倒的な攻撃力と完成度を誇り、インカレ3連覇を目標に掲げるだけでなく、関東リーグ、全日本総合選手権(オールジャパン)を含めた“三冠”を本気で狙っていた年である。
その青山学院大に立ちはだかったのが、田中を主力に据えた東海大学だった。田中は比江島の1学年下ながら、すでにチームの中心選手。強気なプレーと勝負強さで、東海大のバスケットを牽引していた。
誰もが青山学院大の優位を疑わなかったその一戦。しかし、東海大学は比江島率いる王者に真っ向から挑み、そして打ち破った。
結果は、東海大学の6年ぶり3回目の優勝。大学バスケットボール史に残る、ひとつの転換点だった。
試合後、田中と比江島は揃ってこう振り返っている。
「ここには良い思い出も、苦しい思い出もある」。
その記憶が刻まれた場所で、舞台をBリーグに移して再びのマッチアップ。それは、田中にとって特別な力を与えるに十分だった。
出場時間は18分強。それでも田中は、チーム最多となる15得点を記録した。リバウンド、アシストと、大学時代から評される万能選手としての力量を、サンロッカーズ渋谷ブースターの前で発揮してみせた。

大学時代から鎬を削る田中と比江島-Journal-ONE撮影
CS消滅後も全力で戦うサンロッカーズ渋谷の理由
この試合を通して浮かび上がったのは、サンロッカーズ渋谷というチームに浸透している「戦う理由」だった。
試合後、ゾラン・マルティッチヘッドコーチは、ブースターへの想いをこう語っている。
「私たちはファンに対して常に尊敬の念を持っている。だからこそ、どんな状況でも最後までベストを尽くす」。
CS進出の可能性が消え、順位表の行方が大きく動かない終盤戦。それでも、コートに立つ以上、手を抜く理由にはならない。応援し続けてくれる人々がいる限り、全力で戦う。その価値観が、サンロッカーズ渋谷の根幹にある。
その姿勢を、最も体現していたのが田中大貴だった。
「自分が活躍できなくても、チームが勝てればそれでいい。でも、そうでなければ自分がやるしかない」。
個人の数字よりも、まずは勝利。それでも、チームが苦しい状況に立たされたときには、自分が前に出る。その覚悟があったからこそ、田中はオフェンスでもディフェンスでも、迷いなくプレーし続けた。
そして、この思いは決して田中一人のものではない。選手、スタッフを含め、サンロッカーズ渋谷という組織全体に共有されているからこそ、第2クォーターでの反撃、33―33の同点という場面が生まれた。
王者との差と、それでも示した価値
もっとも、それでも王者の背中は遠かった。試合を通じて、宇都宮ブレックスは終始、自分たちのリズムを失わなかった。
田中も試合後、率直に「トップチームの宇都宮と自分たち。その差が、ゲームに現れた。」と振り返る。
当然、マルティッチHCもまた、「ゾーンディフェンスも試したが、3ポイントシュートのアテンプト数と成功率を防ぐことはできなかった。」と、相手への敬意を隠さなかった。
エドワーズ、ジェレットをはじめ、外角でも高い精度を保ち続けた宇都宮のオフェンス。その完成度は、リーグの頂点に立つチームの証明だった。
それでもサンロッカーズ渋谷は、最後まで戦う姿勢を崩さなかった。勝敗以上に、「どう戦ったか」を明確に示した一戦だった。

最後までゴール下で奮闘するホーキンソン-Journal-ONE撮影
思い出と未来が交錯する場所で|サンロッカーズ渋谷の次章
代々木第二体育館に刻まれた記憶と区切り
来シーズンから、サンロッカーズ渋谷はホームアリーナをトヨタアリーナ東京へと移す。それに伴い、多くの記憶が刻まれてきた代々木第二体育館での試合も、姿を消していくことになるだろう。





















