テニス少女・佐藤千文|パデルに人生を懸けるまで
今では世界を転戦するアスリートとなった佐藤千文選手。しかし、その原点は意外にも内向的な少女だった。
人見知りだった幼少期に原点があった
──子どもの頃はどんな女の子でしたか。
「結構シャイでした。お母さんと離れるとすぐ泣いちゃうような子どもでしたし、自分から誰かに話しかけに行くタイプでもなかったですね。」
現在の姿からは想像できない。
海外を転戦し、世界各国の選手と交流する姿とはまるで別人だ。だが、その変化こそが彼女の歩んできた道を物語っている。
そして、佐藤千文選手が最初に出会ったスポーツはテニス。しかも、その出会いは3歳の時だったという。
「家の近くのスーパーの上にテニスコートがあったんです。母と買い物に行った時に見つけて始めました。」
当時のことを母親からこんなふうに聞いているという。
「普段は離れると泣いていたのに、テニスの時だけはすんなり離れていたそうです(笑)。」
運命だったのかもしれない。その出会いがすべての始まりとなった。

テニスを始め、そしてパデルと出会った佐藤選手-佐藤選手提供
佐藤千文選手を夢中にさせたパデルとの出会い
テニスを続けながら、新しいスポーツへの興味も持っていた。そんな時に出会ったのがパデルだった。
──パデルとの出会いを教えてください。
「テニスに似たスポーツで、何か新しいことを始められたらいいなと思っていたんです。その時に川口にパデルコートがあることを知って、弟と一緒に体験しに行きました。」
佐藤千文選手は、その日の感覚を今でも覚えているという。
「すごく楽しかったんです。最初はテニスとパデルを両方やっていたんですけど、そこから少しずつパデルが中心になっていきました。」
──初めてパデルを体験した時の印象は。
「テニスの技術は最初から使えたんです。ストロークとかボレーとかはできました。でもガラスを使ったショットだけは全然できなかったんです。」
多くの人が苦手意識を持つ場面。しかし、佐藤千文選手は笑顔でこう話した。
「できないことが面白かったんです。できないから、できるようになりたいと思いました。」
その好奇心が競技への情熱へと変わっていった。
そして、大学卒業後、一度は社会人として働いた。安定した生活への道もあった。それでも彼女は別の道を選ぶ。
パデルに人生を懸けると決めた
──人生を懸けたいと思った瞬間はありましたか。
「大学を卒業して1年間社会人を経験しました。その後、仕事を辞めて海外を回り始めた時ですね。ペインへ移住した頃から、本気で人生を懸けようと思いました。」
それは簡単な選択ではなかった。
収入も生活も不安定になる。将来への保証もない。だが挑戦しなければ見えない景色があると信じた。
──周囲の反応はいかがでしたか。
「家族も友人も応援してくれました。もちろん家族は海外生活を心配していました。どこにいるか分からないような生活ですし(笑)。」
それでも反対はされなかった。
「みんな応援してくれています。」その言葉には感謝が滲んでいた。
パデルを選んだから得られたもの
──パデルを選んで得たものは何でしょうか。
「本当にいろいろな人と出会えたことですね。日本だけじゃなくて世界中の人と出会えました。」
それは単なる競技経験ではない。人生経験そのものだった。
「一つの目標に向かって集中する大切さも学びました。」
一方で、不安もある。
「同級生は安定した社会人生活を送っています。私は不安定な生活なので、それは少し不安になることもあります。」
それでも挑戦を後悔したことはない。なぜなら、パデルが彼女に世界を見せてくれたからだ。

拠点を海外に移したことから、世界の広さを感じることができたという-佐藤選手提供
海外を転戦して見つけた“世界との差”
大学卒業後、一度は社会人として働いた佐藤千文選手。しかし安定したキャリアを歩むのではなく、「世界で戦う」という夢を選んだ。現在はスペインを拠点に、FIP大会やアジアツアーを転戦しながら競技力を磨いている。
世界を舞台に戦う生活は華やかに見えるかもしれない。しかし、その裏には日本では経験できない環境の違い、文化の違い、そして孤独との向き合い方があった。
佐藤千文選手を変えた海外挑戦
──海外でプレーするようになって最も驚いたことは何ですか。
「一番は環境ですね。日本のパデルクラブはコートが中心なんですけど、スペインではジムやレストラン、カフェ、プールが併設されているクラブがたくさんあります。」



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名古屋市東スポーツセンター
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佐藤千文(さとう・ちふみ)
2000年10月7日生まれ、東京都北区出身。3歳からテニスを始め、高校卒業後に出会ったパデルに魅了され競技へ転向。看護師免許を取得し、大学卒業後は社会人を経て競技活動に専念。2024年から1年間、パデルの本場・スペインを拠点に。現在はインドネシアを拠点に世界を転戦している。日本パデル協会強化指定選手(2019~2024年)。全日本パデル選手権ベスト4、FIP PROMOTIONベスト16、アジアパデルツアー香港大会準優勝などの実績を持つ。2026年アジア競技大会パデル日本代表。














