京都を代表する観光名所として、国内外から多くの人が訪れる金閣寺。正式名称を鹿苑寺といい、金色に輝く舎利殿の美しさは、一度は実物を見ておきたい絶景として知られています。
この記事では、金閣寺最大の見どころをはじめ、誰が何のために建てたのかという歴史、気になる拝観料や拝観時間、そしてアクセス方法までをまとめて紹介します。
最新情報をもとに掲載しているので、出かける前の下調べにもそのまま役立つはずです。初めて訪れる方も、久しぶりに再訪する方も、出発前の確認にぜひお役立てください。
金閣寺(鹿苑寺)とは

金色に輝く姿で知られる金閣寺ですが、実は「金閣寺」というのは正式な名前ではありません。
ここでは、多くの人が「金閣寺」と呼ぶようになった理由や、世界遺産としての位置づけ、そして来訪前に押さえておきたい基本情報を順番に見ていきます。
正式名称は「鹿苑寺」、金閣が有名で通称となった
金閣寺の正式名称は、鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。境内の中心に建つ舎利殿「金閣」があまりにも有名なため、いつしか建物の通称がそのままお寺の呼び名として定着しました。
鹿苑寺という名は、このお寺を築いた足利義満の法号「鹿苑院殿」から二文字を取って名づけられたものです。お釈迦さまが初めて説法をした地「鹿野苑」にちなむともいわれ、禅寺らしい由来を持っています。
拝観の前に正式名称を知っておくと、現地での見え方も少し変わってくるかもしれません。
世界遺産に登録された臨済宗相国寺派の禅寺
金閣寺は、1994年に「古都京都の文化財」のひとつとしてユネスコの世界文化遺産へ登録されました。宗派は臨済宗相国寺派で、京都御所の北に位置する相国寺の塔頭寺院にあたります。
同じ相国寺の塔頭である銀閣寺とは兄弟のような関係にあり、どちらも足利将軍家ゆかりの禅寺です。
現在は相国寺の住職が金閣寺と銀閣寺の住職を兼ね、両寺の運営にあたっています。華やかな金閣の印象が強い一方で、その根底には静かな禅の世界が広がっているのです。
| 正式名称 | 鹿苑寺(ろくおんじ)/通称 金閣寺 |
|---|---|
| 所在地 | 〒603-8361 京都府京都市北区金閣寺町1 |
| 創 建 | 応永4年(1397年)足利義満が北山殿を造営 |
| 拝観時間 | 9:00〜17:00 |
| 定休日 | なし(年中無休) |
| 拝観料 | 大人(高校生以上)500円/小・中学生300円 |
| 宗 派 | 臨済宗相国寺派 |
| 世界遺産登録 | 1994年(「古都京都の文化財」) |
| 電話番号 | 075-461-0013 |
金閣寺の歴史と建てた人

金閣寺がいつ、誰の手で生まれたのかを知ると、目の前の金色の建物がぐっと味わい深く見えてきます。
ここでは、お寺を築いた人物から、もともとこの土地にあったもの、そして一度は失われ再建された経緯まで、金閣寺がたどってきた歩みを順を追って見ていきましょう。
建てたのは室町幕府三代将軍・足利義満
金閣寺を建てたのは、室町幕府の三代将軍をつとめた足利義満です。南北朝の動乱をおさめ、幕府の権威を確立した義満は、応永4年(1397年)にこの地で山荘「北山殿」の造営を始めました。
庭園も建築も当時の最高の技術と趣向を尽くしたといわれ、その中心に据えられたのが舎利殿、つまり金閣でした。義満はここで明との貿易や華やかな宴を催し、いわゆる北山文化を花開かせます。金閣寺は、権力の頂点に立った義満の理想を形にした舞台だったのです。
元は西園寺家の山荘を譲り受けて造られた
実は、この土地が義満のものになる前にも、立派な山荘が建っていました。鎌倉時代、朝廷で大きな力をふるった公卿・西園寺公経が、この地に「北山第」と呼ばれる豪壮な別荘を営んでいたのです。
しかし、鎌倉幕府の滅亡とともに西園寺家は衰え、北山第も次第に荒れていきました。その荒廃した土地を義満が譲り受け、大改修を加えて北山殿としてよみがえらせたのが金閣寺の始まりです。
まったくの更地から築かれたわけではない点も、知っておくと面白いところでしょう。
1950年に焼失し、1955年に再建された
今わたしたちが目にしている金閣は、創建当時のものではありません。応仁の乱などの戦火をくぐり抜けて残っていた金閣でしたが、1950年に放火によって惜しくも全焼してしまいました。
この事件は作家・三島由紀夫の小説『金閣寺』の題材にもなり、広く知られています。その後、当時の関係者の尽力によって1955年に再建され、さらに1987年には金箔を全面的に張り替える大修理が行われました。
創建の姿をできるかぎり忠実によみがえらせた建物が、現在の金閣として輝きを放っています。
「鹿苑寺」の名は義満の法号に由来する
義満が生きているあいだ、ここはあくまで「北山殿」という将軍の邸宅でした。お寺になったのは、義満が亡くなったあとのことです。義満は生前、自分の死後はこの北山殿を禅寺にするよう遺言を残していました。












