元日本代表・内田啓介が選んだ第二のラグビー人生
内田啓介は、元ラグビー日本代表SHとして11シーズンにわたりトップレベルで活躍。そしてその後、母校・京都工学院の教員兼コーチとして高校ラグビーの現場に戻ってきた。
3月25日から31日まで、埼玉・熊谷ラグビー場を中心に開催されていた『全国高校選抜ラグビー大会』。近畿大会で準優勝し、2大会連続10回目の出場を果たしたのが、京都工学院(京都)だった。
近畿大会で出た課題を修正して、2007年以来となる2度目の春の日本一を目指し、1回戦、2回戦と順調に勝利して、昨年同様にベスト8に進出した。だが、準々決勝で桐蔭学園(神奈川)に0-36で敗れた。
自身もOBである大島敦史監督(43歳)は「まだまだ強いFW(フォワード)ではないので、しっかり鍛え込む時間が必要。現段階での力の差を教えてもらった、という感覚。普段の練習から、もう一度積み上げていきたい。春のこの段階でこうした経験をさせていただけたことは、我々にとって冬に活きる非常に良い経験になった」と前を向いた。

京都工学院、準々決勝は桐蔭学園に敗れた-斉藤健仁撮影
京都工学院ラグビー部の源流 伏見工業と「スクール☆ウォーズ」
そんな京都工学院と言えば、紅いジャージーと黒いパンツで知られ、1984年から85年に放送されたドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなったことで、全国的に有名な「伏工」(ふしこう)こと、伏見工業を前身に持つ。
京都市立伏見工業は「花園」こと、『全国高校ラグビー大会』は4度の優勝を誇る名門で、「泣き虫先生」と呼ばれた山口良治氏(83歳)が、今でも総監督を務める。2016年、伏見工業は洛陽工業と統合して京都工学院となり、2017年に校舎を立命館中学・高校の跡地に移転。2018年には全学年が揃った。
近年は京都府の花園予選決勝で、ライバル・京都成章に8年連続で敗れていた時代もあったが、3度目の花園制覇時の主将で、2019年から指導する大島監督の下、2022年に選抜大会に5大会ぶりに出場。さらに2024年度には9大会ぶりに花園出場を果たすなど、強豪復活の兆しを大いに見せていた。

京都工学院になっても紅のジャージと黒パンツは健在‐斉藤健仁撮影
内田啓介 母校コーチとして熊谷に帰還
そんな中、熊谷を本拠地とする埼玉パナソニックワイルドナイツで11シーズンもプレーし、日本代表22キャップを誇るSH(スクラムハーフ)内田啓介は、2023-24シーズンで現役を引退すると、昨年4月、母校の体育教諭となった。そして今回、選抜大会に出場する京都工学院のコーチとして、初めて熊谷に戻ってきた、というわけだ。
現役時代、熊谷ラグビー場やその横にあるワイルドナイツの練習場で汗を流していた内田先生。
「(以前の本拠地)太田と、熊谷で合わせて11年、筑波大学時代をいれたら、関東に15年くらい居ました。ですから、こっちにきたら関西に戻りたくなくなりますね(苦笑)。(ワイルドナイツ練習場の向かいにあるホテルの)パークウイングに泊まっていました。そのため、選手時代にサポートしてくれた方や、お世話になった方が挨拶にきてくれました。」と懐かしそうに目を細めた。

2023年に100試合出場を果たした内田先生-Journal-ONE撮影
憧れの伏見工業から日本代表へ、そして教師の道へ
滋賀県出身の内田啓介先生は、京都・陶下中学(現・凌風学園)出身。当時、ラグビー部の監督だった稲田雅巳先生(現・同志社大学教授)に薫陶を受け、「将来、自分も先生になりたいと思った。」という。
紅いジャージーに憧れていた内田先生は伏見工業に進んだが、花園で準優勝した高校1年時はメンバー外で、残念ながら中心選手だった高校2年、3年時は花園に出場することもかなわなかった。
大学は体育教員免許が取得できる筑波大学の体育学群に進学。高校時代に花園のピッチに立つことができなかった悔しさをバネに、勉強とラグビーに打ち込んだ。すると、すぐに大型SHとして頭角を現した。大学3年時には日本代表初キャップを得て、4年時はキャプテンも務めた。
そして、プロキャリア11シーズンの間に、ワイルドナイツで日本一を4度経験。加えて、日本代表、サンウルブズなどでも活躍した。その後、セカンドキャリアとして「先生になりたい」という言葉を有言実行に移したというわけだ。

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