また守備面においても、3年生だけに頼る考えはない。
成長著しい下級生の力を融合させながら、コンバートや抜擢も視野に入れ、チームの課題解消に取り組んでいる。好守のウイークポイントを一つでも多く埋め、より完成度の高いチームへと仕上げるためだ。
3年生の底力と下級生の伸びしろ。石原監督が描く夏の頂点への青写真は、その二つが融合した先にある。

センバツで力投する3年生の山戸-Journal-ONE撮影
男子野球部から女子野球部創設へ
石原康司監督の歩みと指導観の転換
神戸弘陵学園女子硬式野球部を率いる石原康司監督は、高校野球界では長く知られた指導者だ。
女子野球部創設以前は男子硬式野球部のコーチ、監督を歴任。コーチとして3度、監督として2度の甲子園出場を果たす。特に、1994年のセンバツ大会ではチームをベスト8へ導いている。
教え子には西武ライオンズで活躍し、その後メジャーリーグにも挑戦した前田勝宏氏。加えて、多くのNPB選手たちがいる。
誰もが認める名将――。
しかし、そんな輝かしい実績を持つ石原監督は、当時の自分について意外な言葉を口にした。
「天狗になっていましたね」。
そう笑う石原監督だが、その言葉の裏には自身への戒めも込められていた。
「自分が何とか甲子園へ導こうと思っていたんです」。
男子野球部時代は、自らがチームを勝たせるという意識が強かったという。しかし、2014年に女子硬式野球部を立ち上げて以降、その指導観は大きく変化した。
「プレーするのは選手たちです」。
石原監督が辿り着いた結論だった。勝負を決めるのは監督ではない。グラウンドに立つ選手自身である。

人間形成があって初めて全国を狙えると話す石原監督-Journal-ONE撮影
人間形成を重視する石原康司監督の哲学
だからこそ神戸弘陵学園では、技術や戦術を磨くだけではない。練習前後の取り組み姿勢。校内での振る舞い。寮生活での規律。仲間との接し方。野球以外の時間をどう過ごすか。
石原康司監督は、そうした日常の積み重ねこそが全国制覇を支える土台になる。そう考えるようになったと言う。
「野球だけでは駄目なんです。人として成長すること。その土台があって初めて日本一が見えてくる」。
選手たちに求める「全てに日本一基準」の原点も、まさにそこにある。もちろん、現在の神戸弘陵学園を築いたのは石原監督一人の力ではない。男子野球部時代の教え子である前田氏をはじめ、多くの卒業生たちが後輩たちの成長を支えている。
女子硬式野球部第1期生であり、現在は西武ライオンズレディースのコーチを務める川中もも氏。彼女もチームを支える存在の一人だ。
石原監督は感謝の言葉を口にする。
「本当に多くの人たちに支えられています」。

元西武の前田コーチ(右)も選手たちの指導にあたる‐Journal-ONE撮影
主体性を育てる石原康司監督のチーム文化
島野愛友利が変えた主体性の文化
社会に出ても活躍できる人材を育てる。その理念を共有する指導者や卒業生たちの存在が、神戸弘陵学園という名門を支えているのである。
石原康司監督がもう一つ大切にしているのが、選手たちの自主性だ。
その転機となった選手として名前を挙げたのが、島野愛友利。女子プロ野球選手としてアメリカの女子プロ野球リーグ(WPBL)からドラフト指名を受けた選手だ。
「入学した頃から、自分が活躍して女子野球の人気や地位を高める象徴になると言っていました。」と、石原監督は懐かしそうに振り返る。高校生とは思えないほど壮大な夢だった。しかし、島野はその言葉を結果で証明していった。
「やはりそういう選手はチームの雰囲気や文化を変えます。そして、“持っている”と思わせる活躍をしてくれました」。
石原監督がそう語る象徴的な出来事が、2021年のことだった。
当時の神戸弘陵学園は、コロナ禍の影響もあって夏の全国制覇から遠ざかっていた。そして、この大会から女子高校野球決勝が阪神甲子園球場で開催されることになった。女子高校野球にとって歴史的な大会だった。
その中で島野は、先発からリリーフへと役割を変えながら大車輪の活躍を見せ優勝。女子高校野球史上初となる甲子園球場での決勝戦。島野はその舞台で胴上げ投手となった。だが、石原監督が評価しているのは優勝だけではない。
「あの世代から、選手たちが主体的にチームづくりに関わる文化ができたんです」。















