中定商店 ―― 港と駅を見越した蔵
知多半島の武豊町。黒い板張りの蔵が、青空の下に並んでいた。味噌とたまりを造る中定商店の中川安憲代表によれば、初代はこの地に港と駅ができると見越して、蔵を構えたという。明治19年(1886年)、武豊と熱田を結ぶ鉄道(いまのJR武豊線)が開通し、海には物資を陸揚げする桟橋が設けられた。
「江戸から明治のころは、川や海の近くに蔵をつくるのが普通だった」と中川代表は話す。半田で新美館長が語ったことと、ほとんど同じだ。造ったものを運ぶ道のそばに、蔵は建てられた。

黒い板張りの蔵が並ぶ中定商店。—Journal-ONE撮影
いまもこの木造の蔵で、味噌とたまりが仕込まれている。ただ、この蔵が抱えているもう一つの物語については、次回に譲りたい。
金虎酒造 ―― 街道の入口で、城下の酒を
名古屋市北区の山田。大曽根の駅から歩ける街なかに、金虎酒造はある。蔵に足を踏み入れると、どこか懐かしい家のような香りがした。創業は1845年。善光寺街道の入口にあたる山田村で、初代が酒造りを始めた。七代目蔵元の水野善兵衛社長が広げて見せてくれた古地図には、矢田川と、その渡し、街道が描かれていた。川のそば、城下へ通じる道の入口で、この蔵は生まれたのである。
蔵が生まれたころ、周りには田園が広がっていたという。やがてその周りに街ができ、いまでは住宅に囲まれた、街の中の酒蔵となった。屋号の「金虎」は、名古屋城の金鯱と、三代目が寅年だったことにちなむという。掲げる言葉は「名古屋を醸す」。城下の人々のために酒を造ってきた蔵の、まっすぐな志がそこにある。

蔵の壁に掲げられた「清酒 金虎」の看板。—Journal-ONE撮影
水が運んだもの、桶が受け継いだもの
川と平野が原料を育て、川と海と街道が、それを江戸へ、城下へと運んだ。船を持ち、運河のほとりに蔵を構え、港と駅を待ち、街道の入口に立つ。愛知の蔵はどれも、水の道に寄り添うように建てられていた。
この秋、第20回アジア競技大会(2026/愛知・名古屋)及び第5回アジアパラ競技大会(2026/愛知・名古屋)の開催にあわせて、愛知「発酵食文化」振興協議会は、県内の飲食店やホテル21店舗で、愛知の発酵食を使った期間限定の料理を味わう「うまみ県あいちフェア」を開いた(2026年9月8日〜10月24日)。江戸の屋台を支えた甘みと旨みは、いまもこの土地の食卓で生きている。
だが、蔵を巡るうちに、もう一つ気づいたことがある。蔵の中には、酒から受け継がれたものが、いくつも残っていたのだ。次回は、その桶の物語をたどる。















