パドックという名前に込めた思い

競走馬が輝く「パドック」への敬意
「パドック」とは、心も身体も研ぎ澄まされた競走馬が、レース前の高貴で厳粛な緊張感のなかファンに見守られるところだ。The Paddock Cafeの目の前に広がる芝生も、ただの公園ではない。その中心では、一本の大きな木が、風に吹かれるままにゆったりと枝を揺らしている。何本もの木々ではなく、ただ一本。ぽつんと立つその姿が、この場所を遠くからもそれとわかるものにしている。
馬が集う広場として
この木が見える広場で、馬を集めたイベントが開かれていたのだという。
「ついこないだも、この広場に馬が来ていたんです」。そう言って林さんは、くりっとした瞳を窓の外の芝生へとやった。少年のような、まっすぐな眼差しだった。過去の話ではない。すでに、この場所には馬がやってきているのだ。

サンデーサイレンスが見守る店内
店頭にはひづめの蹄鉄でできた文鎮が置かれ、レジには黒毛の馬のフィギュアが佇む。1989年、日本競馬史に名を刻んだ名馬・サンデーサイレンスだ。競走馬への感謝と敬意が、店のいたるところに息づいている。

カフェのデザインのこだわり

公園と一体になる開放的な空間
公園に面した一面はガラス張りになっていて、店内からは芝生と大きな木がそのまま見渡せる。見上げれば、木の梁が幾重にも交差する勾配天井が広がり、そこから吊り下げられた行灯のような丸い照明が、やわらかな光を店内に落としている。
カウンターには青緑色のタイルがあしらわれ、平屋建ての落ち着いた佇まいの中に、どこか馬房を思わせる素朴さも漂う。
馬と緑を表現したカフェデザイン
建物の上には、青と黄の二頭の馬が風の中を駆け抜けていくような、手描き風の鮮やかなイラストが描かれている。植物や石のモチーフとともに、馬たちが自由に跳ねているような、のびのびとした瑞々しさだ。
「自然のなか、緑の公園に佇むカフェでありたかった」と林さんは言う。木のぬくもりを湛えた建物、馬というコンセプトに寄り添う色使い——外壁を駆ける馬たちの躍動も、カウンターを彩る青緑のタイルも、その根底にあるのは”緑”と”優しさ”という二つの軸だったという。
ギャラリーとしての、もうひとつの顔
ポスターに写る「第2回 林 孝三 絵画展」について尋ねると、林さんは静かに首を振った。血縁ではないのだという。The Paddock Cafeは、京都市内のギャラリーとしての顔も併せ持ち、店内に並ぶ作品は定期的に入れ替わる。今回はえだ画廊による展示で、絵を目当てに足を運ぶ人も多かったという。「これからも、楽しい展示を続けていきたい」——馬と人だけでなく、アートと人をもつなぐ場所として、The Paddock Cafeはこれからも姿を変えていくのだろう。
店の開業は2025年10月19日。店内の青緑のタイルや、手描き風の馬のイラストは、公式アカウントの発信でも店の顔として一貫して使われている。

JRAから、京都のカフェへ

26歳、競馬学校へ
オーナーの林さん(45)は、かつてJRA栗東トレーニングセンターで調教助手を務めていた。その歩みを振り返ると、18歳まで香川県で育ち、高校卒業後、北海道、福島県、千葉県の育成牧場、英国、米国の競馬場で経験を積み、26歳のときに競馬学校を経て、栗東トレセンに入ったという。
送り出すたびの、あの独り言
毎日、馬と向き合っていた頃のことだ。担当馬を送り出すたびに、心の中でつぶやいていたことがあったという。「この子ももう数週間後にはこの世にいないんだろうな」と。年間約8,000頭前後生産されるサラブレッドのうち、生きていく場所を失う馬の数は年間5,000頭以上ともいわれる。かつては、引退後の馬の話をすることさえタブーとされるような空気があったと、林さんは振り返る。
競馬の外側を、覗いてみたくなっただけ
JRAを離れた本当の理由
退職の理由を尋ねると、林さんの答えは意外なほど飄々としていた。大きな落馬事故にも遭ったが、それは退職の大きな理由ではなく、競馬という世界の外側も、一度覗いてみたくなった——それだけなのだという。けれど、そのあっさりとした一言の奥には、長年馬と向き合ってきた者にしかわからない、幾つもの想いが静かに凝縮されているのかもしれない。
引退馬支援が広げる競馬の未来
むしろ競馬の外に出たことで、引退馬支援の活動には広がりが生まれた。日本競馬は世界有数の産業へと成長し、海外の大レースを制することも珍しくなくなった。その馬券売上げは、農林水産省への納税を通じて、巡り巡って私たちの暮らしをも支えている。
「競馬は悪だから、やめてしまえばいい」——そんな声を耳にすることもあると林さんは言う。
けれど、引退後の馬たちに良い選択肢を増やしていくことこそが、日本競馬がさらに胸を張れる存在になる道であり、馬にとっても、競馬に縁がないと思っている人々にとっても、実は幸福につながっているのではないか。まだ小さな活動ではあるけれど、そうした産業の未来に、微力ながら力になりたい——そんな思いから、林さんはJRAを後にした。













