関西の朝の気配と、冷気からの解放
ホテルの部屋で目覚めると、テレビのスイッチを入れるのが旅先での私のひそかな習慣だ。画面から流れてくるのは、地元のローカル情報番組。アナウンサーやコメンテーターたちが交わす、気負いのない自然な会話のリズム。日々のニュースや街の話題が、独特の柔らかくテンポの良い空気感に乗って部屋を満たしていく。関東から取材に訪れた身にとって、この土地の言葉や人々の日常の温度感を耳から取り込む作業は、これから始まる一日を存分に味わうための、言わば心地よい「心と五感の準備体操」なのだ。
だが、十分に冷え切った室内からホテルのフロントを経て一歩外へ足を踏み出した途端、私は否応なく現実の酷暑へと引き戻されることになった。ふくらはぎの裏に、昨日一日分の距離がまだ鈍く残っている。取材の情熱より先に、脚のほうが正直に昨日を覚えているらしい。

取材2日目の朝。ホテルを出ると、昨日と変わらない真夏の青空が広がっていた。—Journal-ONE撮影
昨日と何ひとつ変わらない、容赦のない眩しすぎる日差し。見上げれば、真っ青な空に、真夏らしいもくもくとした入道雲がいくつも湧き上がっている。そして、駅へと向かう私の歩調を盛り立てるかのように、頭上からはクマゼミたちが「シャンシャン……」と惜しみない大合唱を降らせてくる。冷房で一度リセットされた身体が、一瞬で真夏の濃密な空気と光の粒子に包み込まれていく。
ニフレルの素顔との対面

万博記念公園駅からニフレルへ向かうペデストリアンデッキ。前夜に遠くから眺めた白い建物へ、いよいよ歩みを進める。—Journal-ONE撮影
大阪モノレールに乗り、再び万博記念公園駅へと降り立つ。駅からのペデストリアンデッキを歩いていくと、目の前にドーンと目的の建物が現れ、その奥では大きな観覧車がエキスポシティの賑わいを背負うように回っている。広大なエキスポシティの敷地へと足を踏み入れ、目的の場所へと近づくにつれて、私の胸は密かな高鳴りを覚えていた。
昨日の夕刻、沈みゆく太陽の光を浴びて橙(だいだい)色に染まっていた姿。そして夜、暗闇の中にロゴの光だけを可憐に浮かび上がらせていた佇まい。それらは言わば、一日を終えようとする建築の「オフの表情」だったのだと、いま目の前に現れた景色を見て思い知らされる。
青々とした芝生が広がるその先に、角のない滑らかな曲線を描く白い壁面が、真夏の強烈な太陽光を真っ直ぐに跳ね返しながら堂々と佇んでいた。

真夏の強い陽射しを受けるニフレル。夜とは異なる、白い建築本来の表情が姿を現した。—Journal-ONE撮影
昨日の情緒的なグラデーションとは異なり、影を極限まで削ぎ落とした純白のフォルム。真昼の光を浴びたその姿こそが、ニフレルという建築が本来持つ、凛とした「素顔」であり「オンの顔」であったのだ。
シンプルな一言が打ち破った既成概念
近寄ってそのファサードを見上げると、有機的な白い壁面を穿つダイヤ形の窓が、水泡のように軽やかに配置されている。1970年万博の未来都市の熱気を受け継ぐこのエキスポシティの地で、この建物自体がまるでひとつの生きているアートパビリオンのように息づいている。
この角のない滑らかな白い空間の内部で、いまどのような試みがなされているのか。
時計の針を少し巻き戻す。2012年4月、この場所に新たな施設を作るべく動き出したプロジェクトの原点は、「今までにない新しい施設をつくる」という非常にシンプルな言葉があった。
圧倒的な水の量や巨大なイルカ・アシカのショーで観客を平伏させる近代水族館の文法を、彼らは自ら捨て去ったのだ。代わりに求めたのは、1つの水槽で1つの生きものの「個性」を凝視させること。図鑑的な知識の提示ではなく、人間が本来持っている「感性」にダイレクトに触れる体験を提供すること。

1970年の太陽の塔と、その半世紀後に生まれたニフレル。未来の描き方は大きく変わった。—Journal-ONE撮影
1970年の巨大な未来像が残る万博公園の目の前で、スケールの大きさに頼らず、最小単位の生命の美しさをすくい取ろうとしたこの挑戦。2015年の開業から10年の歳月を重ねた現在のいま、ニフレルが「生きているミュージアム」としてこの地にしっかりと根を下ろしている理由は、まさにこのシンプルな言葉に込められた思想の強度に他ならない。













