隣の蔵には、さらに大きな八尺桶が並ぶ。高さ約2.5メートル、容量は約12,000リットルで、ひとつに約13トンの味噌を仕込める。こちらは酒の桶ではなく、昭和の初めに、たまりのために職人がこの蔵の中で組み上げたもので、いまも20本が残る。三つの夏と三つの冬を越す「三夏三冬」の熟成。空いた桶は、あえて洗わずに置いておく。きれいに洗って乾かすと木が縮み、次に仕込んだとき漏れてしまうからだ。
中川安憲代表に促されて、私も桶の上にのぼった。柄杓で底のたまりを汲み、味噌の表面にかけていく「汲み掛け」だ。柄杓は思ったより重く、何度か繰り返すうちに、体がじんわりと温まってきた。見上げると、蔵の高いところから光が差し込んでいた。

大桶の上で、たまりを汲み掛ける中川代表。桶の上には重石がのる。—Journal-ONE撮影
佐藤醸造 ―― 尾張の大桶に残る、江戸の元号
あま市の佐藤醸造は、1874年の創業。バスを降りたときから、甘い香りがしていた。蔵に入ると、香水のように主張する匂いではなく、まろやかな、麹のパンのような香りに包まれた。
杉の大桶は、ひとつで味噌約10トン。そのほとんどが、100年以上使われてきた桶だという。いちばん古い桶はどれかと尋ねると、桶は動かさないので分からない、という答えだった。ただ、傷んだ桶を壊したとき、底に江戸時代の元号が書かれていたことがあるという。創業の前から、酒屋などで使われていた桶を譲り受けていたらしい。
九重味淋は酒の道具を譲り、中定商店と佐藤醸造は酒の桶を譲り受けた。どの蔵からどの蔵へ渡ったのかまでは分からない。けれど江戸の終わりから明治にかけて、酒の道具は、蔵から蔵へと渡っていったのである。

杉の大桶が両側に並ぶ、佐藤醸造の蔵。—Journal-ONE撮影
知多の中定と、尾張の佐藤。二つの蔵が、口をそろえて愛知の桶は大きいと言う。米味噌や麦味噌の蔵では、1〜2トンほどの桶が多いのだそうだ。10トンの味噌の上には、約3トンの重石を人の手で載せていく。
「新しい桶を作って、すぐ同じ味になるかといえばそうではないので、やっぱり培ってきたものを大事にしながら、今の味を守り続けている」と、蔵人は話す。大豆と塩と水だけで造っても蔵ごとに味が違うのは、桶や蔵に住む微生物が、その蔵の個性をつくるからだ。同社はそれを「蔵ぐせ」と呼んでいる。
七福醸造 ―― 桶を離れた蔵が守る色
碧南の七福醸造(ひちふくじょうぞう)は、白醤油の蔵だ。白醤油は小麦を主な原料にした色の淡い醤油で、料理に色をつけずに味を加える。
ここでは、醤油を木桶で仕込まなくなって10年以上になる。かつて270本あった木桶のうち、竹のタガの桶は2本だけが残る。木桶の味のよさは、三代目の犬塚元裕社長自身が実感している。それでもホーロータンクに移ったのは、タンクの技術が上がり、木桶に近い仕込みができると分かったことが、いちばんの理由だという。
熟成が長くなると、白醤油は色づいてしまう。そこで七福は、タンクを冷やしながら、半年以上かけて熟成させる。熟成期間を倍にしたことで、生産量は半分になった。それでも、色を守るためにそうしている。

工場の前に立つ犬塚社長。—Journal-ONE撮影
時間は、蔵が目指す味から決まる
こうして並べてみると、蔵ごとに、かける時間がまるで違う。中定は三つの夏と冬を越す3年。佐藤は1年半から2年と、自然な四季のなかで、じっくり熟成させる。ミツカンの江戸時代の粕酢は、粕を寝かせてから酢として出荷するまで3年半。七福は、色を守るために冷やして、ゆっくりと時を重ねる。
時間は長ければよい、というものではなかった。どの蔵も、目指す味から逆算して、自分たちの時間を決めていた。その時間を受け止めてきたのが、桶であり、蔵だった。
間奏 蔵は発酵に何を聴かせるか
蔵を巡るうちに、もう一つ気になったものがある。蔵の中の「音」だ。
佐藤醸造の蔵には、音楽が流れていた。2023年の春から、作曲家の小野寺唯さんによる「音と発酵 Circular Resonance 〜循環する共鳴〜」というプロジェクトの音を、蔵に流しているのだという。微生物が気持ちよく働ける環境を整えるのが自分たちの仕事で、この音楽もその試みの一つなのだと、蔵人は話した。
中定商店の蔵では、ぽちゃん、ぽちゃんと、何かが滴る音がしていた。尋ねると、桶の底から生引きのたまりを引いたあと、最後に少しずつ落ちる雫の音だという。誰かが「BGMですね」と言い、蔵の中に笑いが起きた。















