和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドは、動物園と水族館と遊園地がひとつの敷地に収まった全国でも珍しいテーマパークです。長く象徴だったジャイアントパンダは2025年に中国へ返還され、2026年にはマリンライブやサファリ体験も大きく生まれ変わりました。
この記事では入園料金やチケットの買い方、変更されたばかりの駐車場のルール、周辺の宿泊まで、訪れる前に押さえておきたい最新の情報をまとめました。
アドベンチャーワールドはどんなテーマパーク?

アドベンチャーワールドは1978年の開園以来、南紀白浜を代表する観光施設として親しまれてきました。
動物とのふれあいから絶叫マシンまで1日で楽しめる施設なので、ほかの動物園や水族館とは少し性格が異なります。まずは、どんな施設なのかという全体像から見ていきましょう。
| 施設名 | アドベンチャーワールド |
|---|---|
| 所在地 | 〒649-2201 和歌山県西牟婁郡白浜町堅田2399番地 |
| 電話番号 | 0570-06-4481(24時間自動音声案内) |
| 開 園 | 1978年4月22日(開園時の名称は南紀白浜ワールドサファリ) |
| 営業時間 | 10:00〜17:00(夜間特別営業日は20:00まで) |
| 休園日 | 不定休(月ごとに異なるため公式の営業カレンダーで要確認) |
| 入園料金 | 1日入園券/大人(18歳以上)5,300円、シニア(65歳以上)4,800円、中人(12〜17歳)4,300円、小人(4〜11歳)3,300円 |
| 駐車場料金 | 1日/普通車・軽自動車1,200円、大型車2,000円、二輪車無料 |
| 飼育動物 | 約120種1,600頭 |
| 主なエリア | サファリワールド/マリンワールド/エンジョイワールド(プレイゾーン) |
| 運営会社 | 株式会社アワーズ |
動物園と水族館と遊園地がひとつになっている
アドベンチャーワールドが開園したのは1978年4月22日で、当時の名称は南紀白浜ワールドサファリでした。翌1979年には遊園地施設が加わり、サファリ、マリン、エンジョイという3つの柱がこの時期に形づくられます。
1983年には現在のアドベンチャーワールドへ名称が変更されました。動物園と水族館という組み合わせだけでも珍しいところに、観覧車やジェットコースターの並ぶ遊園地まで加わる施設は全国でも数えるほどしかありません。
現在は「いのちを見つめ、問い続ける。」をパークテーマに掲げ、動物を見て楽しむだけでなく、命について考える場としての性格も打ち出しています。
約120種1,600頭の動物が3つのワールドで暮らす
園内では約120種1,600頭の動物が暮らしており、エリアごとに出会える顔ぶれが変わります。ライオンやチーターといった肉食動物と、キリンやゾウなどの草食動物が広い放飼場で過ごすのがサファリワールドです。
イルカやクジラのライブ、7種類ものペンギンが集まる展示を楽しめるのがマリンワールドで、なかでもエンペラーペンギンを飼育している施設は国内でも数えるほどしかありません。遊園地にあたるエンジョイワールドには観覧車やジェットコースターが並びます。動物を見て回る合間に乗り物で遊べる点が、このパークならではの魅力といえるでしょう。
営業時間は10時から17時が基本となる
営業時間は10時から17時が基本ですが、夏休みなどの繁忙期には20時まで開園する夜間特別営業が設定されます。2026年は7月24日から8月23日までが、その期間にあたります。
注意したいのが休園日です。毎週水曜日が休みと紹介されることが多いものの、実際には月によって休園日の数も曜日も変わります。夏休みのようにひと月まるごと無休となる時期もあるため、出発前に公式サイトの営業カレンダーを確認しておくと安心です。
パンダは2025年6月に4頭とも中国へ返還された

アドベンチャーワールドといえば、ジャイアントパンダを思い浮かべる方も多いはずです。しかし、園内で暮らしていた4頭は2025年6月に中国へと旅立ち、現在パンダに会うことはできません。
どのような経緯があったのか、国内の状況はどうなっているのか、そしてパンダの面影は今も残っているのかを順に整理します。
4頭のパンダファミリーが成都へ旅立った
中国へ渡ったのは、良浜、結浜、彩浜、楓浜という母娘4頭です。2025年6月28日に中国・成都のジャイアントパンダ繁育研究基地へ到着し、31年続いた白浜でのパンダ飼育がひと区切りを迎えました。
前日の6月27日にはビッグオーシャンで歓送セレモニーが開かれ、飼育スタッフやゲストが思い出を振り返りながら4頭を見送っています。
母親の良浜はアドベンチャーワールドで初めて誕生したパンダで、自身も多くの子どもを育て上げました。1994年に始まった中国との共同繁殖研究は、園にとって長年の看板であり続けたのです。












