今津慶介、内野手、慶應義塾大学。
2026年のNPBドラフト会議では、支配下選手76人、育成選手51人の計127人が指名された。未来のプロ野球界を担う逸材たちが次々と名前を呼ばれる中、多くのドラマが生まれた。
その中でJournal-ONEが注目したのが、北海道日本ハムファイターズから育成5位指名を受けた今津慶介選手だ。
東京六大学野球の名門・慶應義塾大学で主将を務め、春季リーグ優勝と全日本大学野球選手権準優勝を経験。さらに侍ジャパン大学日本代表として世界一も成し遂げた大学球界屈指のスターである。
それだけの実績を持ちながら、北海道日本ハムファイターズの今ドラフト最後の指名選手となったことには驚きもあった。しかし同時に、そこには大きな夢と可能性も感じる。
故郷・北海道でプロへの第一歩を踏み出す今津選手の挑戦に迫る。

日ハム育成5位指名を受けた今津慶介-Journal-ONE撮影
今津慶介が率いた慶應義塾大学の快進撃
今津選手は2026年シーズン、慶應義塾大学野球部の主将としてチームをけん引した。
春季リーグでは東京六大学野球リーグ優勝を果たし、全国の強豪が集う全日本大学野球選手権でも準優勝。福岡ソフトバンクホークスに指名された渡辺和大投手を中心とする堅実な守備陣と、どこからでも得点できるつながりのある打線をまとめ上げた。
東京六大学野球は、プロ野球選手を数多く輩出してきた日本屈指の舞台である。その名門チームの主将を務めた経験は、技術だけではなく、人をまとめる力やリーダーシップの証明でもある。
大学日本代表として世界一を経験
今津選手は今夏、台湾で開催された4カ国対抗の国際大会に大学日本代表として出場した。
全国から選び抜かれたトッププレーヤーが集まる中で日の丸を背負い、世界一のメンバーとなった経験は大きい。
大学球界の最高峰と国際舞台。その両方を経験した選手が、育成契約からプロの世界へ挑戦する。
それもまた、野球という競技の奥深さなのだろう。

侍ジャパン大学日本代表にも選出され世界一に輝いた-Journal-ONE撮影
今津慶介を北海道日本ハムが最後に指名した意味
ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズが今津選手を指名したのは育成5位だった。
球団にとって今ドラフト最後の指名選手である。
慶應義塾大学の主将であり、日本代表経験者でもある選手が育成でのスタートとなったことに驚きを覚えたファンも少なくないだろう。
だが、見方を変えれば非常に夢のある指名でもある。
育成選手として入団し、自らの力で支配下登録を勝ち取り、一軍へ駆け上がる。
その過程そのものが、多くの野球少年少女に希望を与えるストーリーになるからだ。
旭川東高校から始まった物語
今津選手は北海道旭川市出身。
地元の進学校であり、道内有数の公立伝統校である旭川東高校へ進学した。
高校3年夏には主将としてチームを北北海道大会決勝へ導いた。
惜しくも甲子園出場は逃した。しかし、旭川東高校として53年ぶりの決勝進出を果たした快進撃は、地元に大きな感動を与えた。
私学強豪校が上位を占める北海道高校野球において、公立校の躍進は大きな話題となった。
その中心にいたのが今津慶介選手だった。
今津慶介の原点は野球の街・旭川
旭川市は北海道でも有数の野球文化が根付く地域だ。
市内には、日本球界を代表する名投手の功績を称えたスタルヒン球場があり、かつては読売ジャイアンツや北海道日本ハムファイターズの公式戦も開催された。
また現在は独立リーグ球団・旭川ビースターズも活動している。
野球が身近にある地域で育った今津選手にとって、北海道日本ハムへの入団は特別な意味を持つだろう

応援席に挨拶をする慶大主将の今津-Journal-ONE撮影
今津慶介と旭川を結ぶもう一つの縁
今津選手が入学する前から、慶應義塾大学野球部は夏季キャンプを旭川市で実施してきた。
地域の子どもたちとの交流イベントや野球教室も行われ、大学野球のスターたちは未来の野球少年たちに夢を与えてきた。
その輪の中心にいたのが、地元出身の今津選手だった。
今後はプロ野球選手として、さらに大きな影響力を持つ存在となる。
支配下登録を勝ち取り、一軍の舞台で活躍する。その結果が、旭川の子どもたちにとってこれ以上ない目標になるだろう。
今津慶介が受け継ぐ政治家一家の血脈
今津選手にはもう一つ注目される背景がある。
















